第3回 日野皓正ビンタ事件で再認識したこと

ジャズミュージシャンがマスコミに取り上げられ、話題になる事は滅多にないが、トランペット奏者として有名な日野皓正が指導者として中学生の吹奏楽部との共演中に、ドラム担当を往復ビンタした事件が派手に報道された。

今年8月20日、東京世田谷区教委の主催で「日野皓正 Presents “Jazz for Kids”」が開かれた。
地元の中学生による「ドリームジャズバンド」が日野皓正とともに、成果を発表する場だったのだが、曲の後半でプログラムを無視して延々とドラムソロを続け、制止しても叩くのを止めない男子中学生に対し、日野はドラムに近寄り、スティックを奪い取った。それでも中学生は素手でドラムを叩き続けたため、日野は「馬鹿野郎!」と叫びながら、多くの観客の前で往復ビンタをしたのだ。

日野皓正を「行き過ぎた指導! 体罰はケシカラン」との非難派と、「中学生の行動、態度は大問題! ビンタは愛のムチだ」との擁護派がネット上で議論を繰り広げたのは興味深かった。
しかし昭和の時代ならともかく、現代社会での体罰は許されないだろう。相手が中学生だろうと大人だろうとアントニオ猪木だろうと、手を出してはならないのだ。
ビンタの可否について議論の余地はなく、これ以上の進展はない。一般論としてはごく簡単な話である。

では、この中学生の是非はどうだ。
ドラム奏者が指導者の指揮を無視してドラムソロを続け、コンサートをぶち壊した。これまでの練習の成果を台無しにしたのである。この中学生がフルート奏者やベース奏者であれば、「おいコラ!」で演奏を止めさせて終わりであろうが、暴走した中学生がドラム奏者だったことが大問題なのだ。

筆者は30余年ジャズのビッグバンドでドラムを担当しているので、ドラムという楽器の影響力、重要性を経験から熟知している。
1938年、クラシックの殿堂、ニューヨークのカーネギーホールで初めてのジャズコンサートが開催された。演奏はベニーグッドマン楽団。この日の楽曲「シング・シング・シング」で会場は総立ち、拍手の嵐となり、ベニーグッドマンは「スウィングの王様」と称されるに至った。
言わせて頂こう。
このコンサート大成功の立役者は、素晴らしいドラミングを披露したジーン・クルーパである。ジーンのドラミングがなければ、ここまでの盛り上がりはなかった。音楽を活かすも殺すも、それはドラマーにかかっているのだ。

県出身のジャズピアニスト、故・辛島文雄はかねがね言っていた。
「ピアノトリオの鍵はドラムだ。重要性においてドラムのウェイトは80%、よく覚えておけ」
14,000曲を超えるレコーディング経験を持つ名ドラマー、村上“ポンタ”秀一は、コンテストの審査で、常々言っていた。
「そのバンドがいかに素晴らしくても、ドラムがダメだったら、そのバンドはダメだ」

ビンタを食らった中学生は、ドラムの重要性を十分に理解できたのだろうか。

profile

手島繁(てしま・しげる)。大分みらい信用金庫企業サポート部部長。1962年生まれ、杵築市出身、大分市在住。大分鶴崎高校、福岡大学経済学部を卒業後、別府信用金庫(現・大分みらい信用金庫)へ入庫。営業店や本部勤務、大分県産業創造機構出向等を経て、鶴崎森町支店長、東大分支店長等を歴任の後、融資部副部長を経て現職。学生時代から楽器をたしなみ、バンドを結成、ドラムス、ピアノ、ギター、ボーカルまでをこなすマルチプレイヤー。特にドラムスの腕前は高く評価され、社会人ビッグバンド「スウィングエコーズジャズオーケストラ」、「Sunset Color」、「長谷部彰ピアノトリオ」等レギュラードラマーとして活躍中。毎月1回、西大分ブリックブロックでピアノ弾き語りライブ「手島ナイト」を開催している。