(当たり前のことながら)我われはみな、世の中で生きています。世渡りは難しいですね。先人たちはこの世での生き方をどう捉えていたのでしょうか。大伴旅人は、Usage #10で紹介するように「生ける者遂にも死ぬるものにあれば この世にある間は楽しくをあらな」と考えていました。私はこのメッセージで暮らしています。
今回は、旅人以外の先人たちの捉え方を見てみましょう。

【和歌のスタイルで表現してみた】

Usage #10 ものごとがあるべき順に進まないときの心として

順の乱れを知る時は すべもなき世のためしとぞ知る

[元歌]
すゑの露もとのしづくや世の中の おくれさきだつためしなるらむ 遍昭(へんじょう/816 – 890)
[解説]
末と元、後と先の乱れもまた、世の例(ためし)であると言ってます。高校に情報科目が導入されています。情報科目ではプログラミングの原則を「順次・選択・繰返し」と教えます。順次は、“ものごとを順に処理すること”の意味です。しかし、世の中はプログラム通りにはいかないもの。予期せぬ出来事に臨機応変に対応できず、受け止められないこともあります。これが「おくれさきだつためし」ですね。

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Usage #11 世の中にどんな顔を向ければ良いか迷うときの心として

イキるもよし弱音もよし嘆くもよし なにしろ憂き世なのだから

[元歌]
(1)わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人にはつげよ海人の釣り舟
※あいつは広い海の島を目指して漕ぎ出て行ったと、人には告げてくれ、漁師の釣り舟よ。
(2)思ひきや鄙のわかれにおとろへて 海人のなはたきいさりせむとは
※思いもしなかったよ、鄙びた漁村にやって来て、この俺が漁師たちの手伝いをするとは。
(3)しかりとて背かれなくに事しあれば まづ嘆かれぬあな憂う世の中
※だからといって世に背を向けることもできない。嘆きから始まるのが憂き世なのだから。
いずれも小野篁(おの の たかむら/802 – 853)
[解説]
これは小野篁というガッツのある男の歌。篁はどうしても納得できないことがあって上司に反発したところ大目玉を食らって島流しになりました。(1)は島に流されるときイキって見せた歌、(2)は「ここで漁の手伝いかよ」と弱音を吐いた歌、(3)は憂き世を受け入れた歌。
人というのは、環境が変わっても時間が経つにつれてそれなりに落ち着く生き物のようです。

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Usage #12 目立つ場面が自分に廻って来るのを期待する心として

我が番をば今か次かと待つ時の 我が心の音とほかの人のいづれ高けむ

[元歌]
我が世をば今日か明日かと待つかひの なみだの滝といづれ高けむ  在原行平(ありわら の ゆきひら/818 – 893)
※我が世が来るのが今日か明日かと期待する「待ち甲斐」と「甲斐の涙の滝」とどちらが高いだろう。
[解説]
阿保親王の息子、在原行平の歌です。行平は、大物政治家(関白の藤原基経)と対立しても引かなかった気骨ある男。この歌はその行平が「布引の滝」を見物したときに詠んだ作品です。人は人前でプレゼンするほど変化しますので、何かのプレゼンで順番を待っている人の心情を歌にしてみました。

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Usage #13 年を取る自分に気づいたときの心として

先の見えぬ憂き世を嘆きつつ アハ現象のように老ふる身を如何にせむ

[元歌]
たのまれぬ憂き世の中を歎きつつ 日かげに老ふる身を如何にせむ  在原業平(ありわら の なりひら/825 – 880)
※あてにできないこの憂き世を嘆きながら、日も当たらないまま老いてしまうこの身をどうすれば良いのだろう。
[解説]
在原業平は#12の在原行平の弟です。二人ともハンサムな阿保親王の息子です。憂き世が当てにならないのは今も昔も同じ。業平は、世の中はあてにならない、自分には日も当たらないと嘆いています。古来、人は親兄弟や仲間とは一緒に年を取るので年齢差は平行移動です。だけど、顧客とは毎年、年齢差が開く一方。気づかぬうちにじわじわと変化するアハ現象。老化もアハ現象。

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Usage #14 場所の名前で人や場所を表すと奥ゆかしい、の心として

わが県は都のさる猿も住む 世を高崎山と人はいふなり

[元歌]
わが庵は都のたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり  喜撰(きせん/生没年不詳)
※わが庵は都から見て辰巳(東南)の方向にある。鹿も住んでいるよ。世間はこういう私を宇治山と言う。
[解説]
大分は都の申(西)なので、「世を高崎と人はいふなり」としたかったけど、大分市には高崎という地名もあるので「高崎山」と言わないと違いが分からなくなる問題があります。それより高崎山の、と聞くとまず猿が浮かびませんか。人がニホンザルに先を越されています。
ま、それはそれとして、私は「鶴見岳の」と聞くと別府を、「由布岳の」と聞くと由布院を連想します。万葉集には木綿と書いてユフと読む歌があります。例えば、「三輪山の山辺まそ木綿短木綿 かくのみゆゑに長くと思ひき(万157)」。“長く続くと期待していたのに短かった”と悲しむ歌です。

profile

安部 博文
あべ・ひろふみ:1953年、大分市生まれ。大分大学教育学部物理学科卒業、師匠は田村洋彦先生(作曲家)。由布院温泉亀の井別荘天井桟敷レジデント弾き語リスト(自称)。大分大学で第1号の経済学博士、指導教員は薄上二郎先生(現青山学院大学経営学部教授)。国立大学法人電気通信大学客員教授。電通大認定ベンチャーNPO法人uecサポート理事長。
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