
今回は万葉集の巻三から、今日はこれだ!と思った歌を取り上げました。巻三は雑歌が中心の歌集(ちなみに巻二は相聞歌が中心。私めは苦手なのでスルーしました)。
それにしても「雑歌」って言い方どうなの?と思いませんか。ただ、雑な歌という意味ではなく、季節・相聞・挽歌以外という意味らしいです。ならば「雑炊」は美味いし「雑誌」は大好きなので「雑歌」で良いやん。なにより歌から伝わる心持ちが私たちの栄養になるし。
【和歌のスタイルで表現してみた】
■Usage #98
土産は大事だぜ、の原則
行った先の感動菓子にもが 包みて大切な人への家づとにせむ
[元歌]
伊勢の海の沖つ白波花にもが 包みて妹が家づとにせむ 万306
訳:伊勢の海に立つ白波が花であれば良いのに。包んで妻の土産にしたいから。
[解説]
「〇〇にもが」は〇〇なら良いのに、という意味。出張先から土産を持ち帰るのは万葉時代でもやってのだ。私がやっているプログラミング教室の学生講師も出かけた先の土産を講師仲間に持って帰る。土産は、こういうところに行ったよ、みなさんのことをちゃんと忘れてませんよ、という心優しいコミュニケーションです。306番歌の作者は安貴王(あきおう 690 – ?)。志貴皇子の孫。今日の皇室は男系子孫にあたるそう。
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■Usage #99
見馴れた風景こそ宝なりの原則
言い聞かす人聞かされる人 生きる限りは効果あり
[元歌]
梓弓引き豊国の鏡山 見ず久ならば悲しかむかも 万311
訳:豊の国の鏡山を長い間見られないことになれば悲しいに違いない。
[解説]
「豊国の鏡山」という文字が目に飛び込みません? 作者は村主益人(すぐり ますひと ? – ?)。この歌、豊国から都に出張するときに詠んだ作品とのこと。豊国は豊前と豊後の総称。鏡山は福岡にも大分にもある山の名前。海が見えそうなのが福岡の鏡山、見えないのが大分の鏡山。ところで私め、大分や福岡という名称には心情的にフラット。けれど豊前と豊後になると、何か知らないけど対抗意識みたいな気持ちがじわっと湧いて来る。これ何なのでしょう(笑)。藩の時代に何かあったのかな……まあいいや。由布岳は今日もそびえていることだろうと思ふ。
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■Usage #100
大分にも吉野があるんだからね
吉野よき名よき人よく見 川も花も野原もよき人よく見
[元歌]
み吉野の滝の白波知らねども 語りし継げばいにしへ思ほゆ 万313
訳:吉野の滝の白波(しらなみ)はみんな<しって>ます。昔のことは直接<しらない>けれど、語り継がれているので分かっています。
[解説]
豊前と豊後の対抗意識じゃないけれど、吉野が出てくるので大分にもあるよと主張したくなる歌。ただ、この歌、「知らない」を言いたいために「白波」を持ってくる強引なところが目立ってちょっとうざい。おじさんのしょうもない駄洒落を聞かされた人は苦笑いってのは万葉の時代から続いてるのだ。ということは伝統なのだ。おじさんは直る見込みなし、まわりも直す必要なし、ってことだろう。作者は土理宣令(とり の せんりょう ? – ?)。官人・学者。
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■Usage #101
101回からは下手な創作和歌は廃止(笑)。
雨降らずとの曇る夜のぬるぬると 恋ひつつ居りき君待ちがてり 万370
[元歌]
雨降らずとの曇る夜のぬるぬると 恋ひつつ居りき君待ちがてり 万370
訳:雨が降りそうで降らず雲りがちな夜がぬるぬると過ぎて行きます。貴方様はいついらっしゃるのだろうと待ちながら時間がぬるぬると過ぎています。
[解説]
この歌の「ぬるぬる」が良いですね。370番歌は、人を待っているときの歌。早く来ないかなあと思いつつ、待つ時の流れを楽しんでいる風情がうかがえる。心の構えの広さを見習って、これから人を待つとき、ぬるぬる・ぬるぬると呪文を唱えよう。作者は安倍広庭(あべ の ひろにわ 659 – 732)。公卿。
