※メイン写真 : 「湯布院」「由布院」「ゆふいん」…。様々な表記を目にすることができるJR由布院駅前。(撮影:若杉優貴)

前回は「朝見(熱い水に由来)」や「浜脇(海岸から温泉が湧く)」、「堀田(田んぼを掘って温泉を掘削したことに由来)」など、別府市内の「温泉」にちなんだ地名を紹介しました。
温泉にまつわる「湯」が付く地名といえば、別府のお隣にある「湯布院」もその1つです。
大分県民なら、「湯布院」と「由布院」の2通りの表記がある理由をご存じの方も多いでしょう。
それでは、そもそも「ゆふ」という地名は、どこから来たのでしょうか。

実はまだ70年の歴史しかない「湯布院」表記
今ではすっかり定着している「湯布院」という表記ですが、実はそれほど古いものではありません。
「湯布院」という地名が誕生したのは1955年。由布院温泉を擁する「速見郡由布院町」と、湯平温泉を擁する「大分郡湯平村」が合併して新たに「大分郡湯布院町」が発足した際に2つの地名を合わせた合成地名であり、誕生から約70年しかたっていない比較的新しい地名なのです。

湯布院町が誕生した1950年代は、温泉街にとっても大きな転換点でした。
その少し前の1952年に周辺地域の人口増加を受けて温泉街がある由布院盆地をダム化し、その湖畔に温泉街を移転させ新たなリゾート地として開発するという構想が持ち上がったのです。

そうしたなか、合併後の初代・湯布院町長である岩男頴一(いわお・ひでかず)氏は、「産業」「温泉」「自然の山野」の三つの融合をスローガンに掲げ、“産業”として自衛隊を誘致して財政を立て直すとともに、町内の旅館経営者たちと協力して、今ある自然を活かした滞在型の温泉保養地をめざす方針を採ります。
このようにして生まれた将来像が、合併後の「湯布院」のまちづくりへとつながっていったのです。

※由布院盆地の朝霧。この朝霧で満たされた場所がそのままダム湖となっていたのかも知れません。(撮影:若杉優貴、画質補正)

1959年に由布院温泉と湯平温泉は温泉法に基づく国民保養温泉地に指定されます。1981年には両温泉を合わせて「湯布院温泉」として国民保健温泉地に、さらに2019年には湯布院温泉(由布院温泉・湯平温泉)に加えて、「塚原温泉」、「庄内温泉(庄内駅周辺など)」、「挾間温泉(石城川温泉など)」を含む「湯布院温泉郷」が国民保養温泉地に指定されました。
現在の「湯布院温泉郷」は、温泉法上は塚原や庄内などを含む由布市内全域にある温泉の総称となっています。

ところで、観光案内やガイドブックなどでは温泉地であることを連想させる「湯布院」表記が広く使われています。1989年に開通した大分自動車道のインターチェンジも「湯布院インターチェンジ」です。
一方、JR久大本線の駅名表記は今も「由布院」のまま。もともと由布院駅は1925年に「北由布駅」として開業し、1950年に現在の名称へ改称されたもので、駅周辺の由布院温泉エリアでは現在も「由布院」表記を多くみることができます。
また、2005年に挾間町・庄内町・湯布院町が合併して誕生した「由布市」も、「湯」ではなく「由布」の表記を採用しています。「由布市」という名称は一般公募によって決められたもので、「由布岳」や「由布川」など、合併した3町に共通している地域のシンボルにちなんだものです。

つまり現在の「湯布院」「由布院」「由布市」などは、いずれも同じ「ゆふ」という古い地名に由来しながらも、それぞれ異なる歴史のなかで使い分けられているのです。

奈良時代から続く「ゆふ」の響き、その由来は温泉じゃない!
では、「ゆふ」という不思議な響きの由来は何でしょう。

「ゆふ」という地名には「ゆ」という文字が付くものの、温泉に由来するものではありません。
奈良時代後期の歌集「万葉集」には、
「娘子(おとめ)らが 放(はな)りの髪を 木綿(ゆふ)の山 雲なたなびき 家のあたり見む」(詠み人知らず)
という歌が収められています。
ここでいう「木綿(ゆふ)の山」は、現在の「由布岳」を指すと伝えられています。

※由布院駅前にそびえる由布岳。「ゆふ」は万葉集にも詠われた歴史ある名前です。(撮影:若杉優貴)

「ゆふ」という地名の由来について、万葉集と同じ奈良時代後期に著された「豊後国風土記」には、
「柚富郷(ゆふのさと)、郡(=速見郡)の⻄に在り、この郷の中に栲(こうぞ=楮)の樹 多に⽣たり、常に栲の⽪を取りて以ちて⽊綿(ゆふ)に作れり、因りて柚富郷と⽈ふ」
という記述があります。

つまり、この地域には楮(こうぞ)の木が多く、その樹皮から「木綿(ゆふ・ゆう、いわゆる「もめん」とは異なるもの)」と呼ばれる繊維を作っていたことが「ゆふ」という地名の由来になったとされます。
「ゆふ(ゆう)」は、現在でも神事などに用いられており、平安時代後期になると由布郷はその産地として宇佐神宮弥勒寺領の荘園となっていました。

一方、湯平の地名は「ゆふ」よりも起源が新しい、温泉に由来した地名とみられます。
もともとはその地形から「谷川」などと呼ばれていたようですが、18世紀にはのちに湯平のシンボルとなる石畳が敷かれるなど温泉街としての整備が進みました。1803年に田能村竹田らが編纂した「豊後国志」にも「大分郡では数少ない温泉地(当時、由布院は別府と同じ速見郡だったため)」として「湯ノ平」の名が挙げられています。

由布院、安心院、院内…。「院」ってなに?
ここまでは、「ゆふいん」の「ゆふ」の部分の起源に焦点を当ててきました。
さて、大分県には「由布院(湯布院)」以外にも、県外の人にとっては難読地名である「安心院(あじむ)」や、そのお隣の「院内(いんない)」など、「院」が付く地名がいくつかあります。
では、なぜ「ゆふ」に「院」が付いて「由布院」となったのでしょうか。

次回は、この「院」という文字に注目し、由布院、安心院、院内など、大分県各地の「院」が付く地名の由来を探っていきたいと思います。

【参考】
角川日本地名大辞典編纂委員会編(1980):「角川日本地名大辞典 大分県」(角川書店刊)
由布市(2026):第二次由布市環境基本計画
環境省(2020):「国民保養温泉地計画書」環境省編
由布市公式サイト

profile

若杉 優貴
わかすぎ・ゆうき:別府市出身。熊本大学、広島大学、久留米大学を経て2021年博士学位取得。専攻は商業地理学。様々なメディアで街づくりや地理・歴史などに関する記事を執筆している。趣味は商店街とデパートめぐり。
※プロフィール画像はアーティストの三原海氏に描いてもらいました。
【所属】
都市商業研究所 https://toshoken.com/

【主な執筆Web媒体】
『ITメディア』
https://www.itmedia.co.jp/author/248365/
『Merkmal(メルクマール)』
https://merkmal-biz.jp/post/writer/yuuki-wakasugi
『アーバンライフ東京』
https://urbanlife.tokyo/post/writer/wakasugi-yuki/
『日刊SPA!』
https://nikkan-spa.jp/spa_comment_people/toshoken
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