年が明けた。平成28年のお正月。
何はともあれ、おめでたい。

私は元旦の空気感が好きだ。これといって理由はない。言ってしまえば日付が変わるだけなのだが、「ハレ」が突然にやってくる。たぶん日本人特有の祖霊信仰に発するものであろうことは想像できる、その一端が自分の中にも身体化されているということだろうか。

私の住む国東半島の下原地区では1年に3回のお祭りがある。つい先日も年内最後のお祭り「山のカミサマのお祭り」を終えたばかりだ。約50戸からなる私たちのムラは土地や財産も共同所有しており、代々土地を貸したり、最近では太陽光発電事業などもはじめて、そこからの収益でお祭りや年中行事の費用をまかなっている。国東半島のなかでもめずらしい、現代的に変容してきた村落共同体だ。

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私自身は10年前に父から引き継ぎ松岡家の代表として参加するようになった。70歳代で若手といわれるこの組織、上座には常に80歳オーバーの長老たちが並ぶ。現在53歳の私はいまでも最年少の部類に入るが、昨年度から会計役を仰せつかって、諸先輩に混じってどっぷりとムラの仕事に浸かっている。

年内最後のお祭りが終わると「来頭渡し(らいとうわたし)」という行事がおこなわれる。50戸の家々は現在5組に分かれており、各組が交代でその年の「引き請け」と呼ばれる座元となってお祭りのすべてを取り仕切る。当年の座元から次の年の座元に役目を渡すのが「来頭渡し」の儀式である。ちょうど本年の座元にあたる組の代表として、私はこの来頭渡しに参加することになった。

皆の「打ち込み」の拍子のなか、大きなお椀になみなみと注がれた酒を一気に飲み干すという儀式。間に合わなかったり、残したりしたら最初からやり直し。なんだかまるで体育会系だ……と苦笑しつつも、飲みきった。

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「頭屋行事」が残っている地域は全国的にめずらしい。特に国東半島ではまとまったかたちで残っている。もともとは世襲だった座元が近代に入って持ち回りとなったようだが、このような組織は古く中世までさかのぼるそうだ。

お祭り自体はけっして堅苦しいものではない。近所の公民館で神官が祝詞をあげて、お祓いを受ける。そのあと直会(なおらい)がはじまる。直会は神事が終った後の宴会であるが、カミサマに上がったものを一緒にいただき御加護を得るという神事の一部だ。一見して、ただのご近所の飲み会なのだが、それがずっと続いているということがとても大事なのだ。

同じことを同じように繰り返しながら世代交替し、循環していく。共同体に属する人と人を仲立ちするのはいわゆる「カミサマ」。「お祭り」は地域共同体に属する人々の繋がりを強化するための、ひとつの装置として機能している。

続いてきたということは、生きるために必要だったということだ。農耕を主たる生業としてきたこの地域では、様々な局面でお互いに助け合う地域共同体の維持がそれぞれの家にとって、そして個々にとって欠くべからざる優先事項だったのだ。

現在はこの50戸の家中で専業農家はほとんどいない。田畑はあるが家内で食べる分をつくっているだけだ。ある者は会社勤めをし、ある者は自営業を営む。共同して何かを行うというのはこのお祭りぐらいである。私たちのムラはたまたま賢い先人達が土地を手放さずに共有財産として管理してきたことによって今でもかろうじて村落共同体を維持できているのだ。

かつては日本国中でこのようなムラがありマツリがあっただろう。それが近代化とともに解体され、個々に分断されてきた。資本主義社会/貨幣経済の浸透とともに生きるための糧はすべてお金と交換することによってのみ手に入いるようになった。だから村落共同体自体の必要性がなくなってきたのだ。

でも本当に必要なくなったのか。

私が地域共同体のことをまじめに考えだしたきっかけは2011年の東北の大震災である。あの未曾有の災害にみまわれた地域においていち早く復興しはじめたのは「お神楽」などの神事を伝えてきた村落だと聞く。地域共同体の主たる使命は言うまでもなく相互扶助であり、それが明らかなかたちとなって現れるのが不本意ながら有事においてなのだ。

高齢化・少子化が進む地方、特に中山間地域においては介護や教育その他の生活全般で地域共同体の役割はますます重要になってくるのではないか。私はそのように考える。もちろんこれまでのカタチそのままでは立ち行かない、ムラもマツリも現代的に変容しながら地域共同体を作り替えていかなければならないだろう。

私は会社そのものも地域共同体の一つだと考えるようになった。半分はグローバルな貨幣経済に接続し、半分は地域に接続して生活圏のバランサーとなる。私が理想として描いているのはそういう会社である。メディアでは週休三日制ばかりが取りざたされるが、「国東時間(くにさきじかん)」の本質はその理想のなかに埋め込まれている。

 

最後に正月らしい「ハレ」のシーンを紹介しよう。

一昨年、私たちの会社と「山中カメラ」というアーティストが中心になって制作した地域の新しいお祭り「時祭(ときのまつり)」。このお祭りは神事ではない。自分たちの住んでいる場所とそこに流れる時間を自らが祝福しよう、という主旨だ。近隣の人たちや市内外の若者たちの協力によって2014年の秋に実現した。皆が手をつないで輪になって踊る、幸福感溢れる光景が見てもらえるだろう。そしてこの幸福感こそ、私たち自身が感じている地域共同体の可能性なのである。

本年も幸せに溢れる平和な一年でありますように。

profile

松岡 勇樹
(まつおか・ゆうき)

1962年大分県国東市生まれ。武蔵野美術大学建築学科修士課程修了後、建築構造設計事務所勤務を経て、独立。1995年ニットデザイナーである妻の個展の為にd-torsoのプロトタイプとなる段ボール製マネキンを制作。1998年、生まれ故郷である国東市安岐町にアキ工作社を創業、代表取締役社長。2001年「段ボール製組立て式マネキン」でグッドデザイン賞受賞。2004年第二回大分県ビジネスプラングランプリで最優秀賞受賞、本賞金をもとに設備を拡充、雇用を拡大し、現在の事業形態となる。2009年から、廃校になった旧西武蔵小学校を国東市から借り受け、事業の拠点としている。日本文理大学建築学科客員教授。
■時祭(ときのまつり)
https://www.youtube.com/watch?v=wKezHKzJA3A&feature=youtu.be

■「d-torso」ウェブサイト
http://www.d-torso.jp

■アキ工作社ウェブサイト
http://www.wtv.co.jp