私はいつも一つの石を持ち歩いている

石には名前があって、「渚小雨石(なぎさこさめいし)」という。私が名づけた名前だ。

3年後、この石は私が選んだ誰かの手に渡ることになる。そして5年ごとにまた別の誰かに手渡しながら、今から1298年後の西暦3314年の10月14日にこの石を持っている人が約束された場所に向かうことになっている。
 
私の他に5人の人物が同じように5つの石をそれぞれ持ち歩いている。彼らは「イシモチ」と呼ばれる。私もイシモチのひとりだ。
 
そしてもうひとり、重要な人物がいる。「セワヤク」と呼ばれる人物。セワヤクもまた1300年間代々引き継がれていくのだが、現在の、そして初代のセワヤクは雨宮庸介というアーティスト。彼こそがこの「1300年持ち歩かれた、なんでもない石」という作品の作者である。そう、この仕組みはひとりの作家の作品として生まれた。雨宮さんの本作品に関するコンセプトは下記のサイトを参照されたい。年表には初代のイシモチたちの名前が記されている。
 
1300年持ち歩かれた、なんでもない石
数年前、国東では国東半島芸術祭というお祭りが行われた。たくさんのアーティストが国東を訪れ、それぞれに作品を残していった。その中でも雨宮さんの作品は傑出している。と、私は評価している。だが本稿では彼の作家性や作品について書くつもりはない。幸運にも初代のイシモチに選ばれ、今もその石を持ち歩いているイシモチの一人が感じている時間感覚について書こうと思う。
 1609_matsuoka_06
 まずこの石を拾ったところから始めよう。
 
最初にセワヤクから簡単な説明があった。自分が好きな場所で好きな石を拾ってください、と。あまり大きくないほうがいいとも言われた。ずっと持ち歩くことになるから。
 
私はほとんどなにも考えずに、自宅から数十メートル離れた海岸に出て、しばらく足元だけを見つめながら歩きまわって目にとまった一つの石を定めた。なんの変哲も無い普通の石。平たい石だったように思うのだが、実際のところ今はもうよく思い出せない。
 
私はその石に触っていない。ただ在る場所をセワヤクに告げただけ。セワヤクはその石を拾って大事だいじに懐に入れて持ち帰り、後日金属製のカプセルに入れて手渡してくれた。それがこれだ。
 
1609_matsuoka_021609_matsuoka_03
 その日は午後から小雨が降っていて、雨に濡れながら石を見つけるために海岸をさまよった、だから 「渚小雨石(なぎさこさめいし)」 と名づけた。その日からずっと私はこの石を持ち歩いている。そしてこの石を渡す相手を探し続けている。
 
自分はこの石を誰に渡すのだろう? そういうふうに思いを巡らすのはとても楽しい。初代の6人のイシモチは国東在住の人間だったが、次に渡す人にはなんの条件付けもない。ただ渡せばいい、とセワヤクからは言われている。もちろん自分の子供に渡してもいい。しかしながらそれは自分の考えの中にはない。もちろん自分が拾った石が回りまわって自分の子供の手に渡ったとしたら、それはとても素敵なことだ。ただしそれは他者を迂回してのこと。直接手渡すのはなんとなく違う気がする。
 
この時点で「なんでもない石」はすでに意味を持ち始めている。石を手渡すことになる3年後のシーンを私はよく想像する。多分私は何かの思いを託してこの石をその人に手渡すことだろう。受け取った人は何かを託されたと感じることだろう。そうやって1300年間、260代の人たちが次々に手渡していくことになる。
 
この石を手にして、これから始まる1300年のストーリーを想像して、私が確信していることがある。それは1298年後に6人のイシモチと最後のセワヤクが集うとされているその現場に私も同時に居るだろうということ。
 
もしかしたら6人のうちの一人が私のDNAを運ぶ子孫であるかも知れない。私が死んで土に帰り物質に還元され、それを再び吸収してその場に芽吹いた雑草かも知れない。あるいはその草を食んでいるテントウムシの複眼にそのシーンが映っているのかも知れない。また大気の中の一粒の粒子としてその場に漂っているかも知れないし、霊魂という存在形態が在るとするならば、そんな非物質的な在り方かも知れない。とにかくなんらかのカタチでその場に居るであろうことはほぼ確実なことのように思えるのだ。
 
ひとつのなんでもない石が1300年260代の想いを乗せて約束された日時に約束された場所に集まる、とてもロマンチックな話だ。
 
「伝える」ということの本質がこの行為のなかにあるような気がする。
 
今はまだ国東半島のなかに留まっている6つの石が3年後一斉に動き出す。もしかしたら次はあなたのもとに運ばれてくるかも知れない。その時あなたは今の私と同じように時間を超える感覚を感じるはずだ。
1609_matsuoka_04
ついにこのコラムも今月で最終回となりました。一年間お付き合いいただいた読者の皆さん、ありがとうございました。ここ数年、私自身が抱えているテーマは「時間」そのものです。このコラムの中でも折にふれて時間のテーマを取り上げてきました。時間は過去から未来に向けて一様に直線的に進むものではなく、曲がったり、逆行したり、交差したり、絡み合ったり、また解けたりと、様々な諸相を持っていて、それは僕たちの生命の秘密と深い関連があるんじゃないかと、僕はいつもドキドキしています。僕のドキドキが少しでも皆さんに伝わったなら良いのだけれど。
 
最後に、一年前このコラムの場を与えてくれて、いつもギリギリになる原稿を辛抱強く待ってくれた編集長に心から感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。

profile

松岡 勇樹 氏
(まつおか・ゆうき)

1962年大分県国東市生まれ。武蔵野美術大学建築学科修士課程修了後、建築構造設計事務所勤務を経て、独立。1995年ニットデザイナーである妻の個展の為にd-torsoのプロトタイプとなる段ボール製マネキンを制作。1998年、生まれ故郷である国東市安岐町にアキ工作社を創業、代表取締役社長。2001年「段ボール製組立て式マネキン」でグッドデザイン賞受賞。2004年第二回大分県ビジネスプラングランプリで最優秀賞受賞、本賞金をもとに設備を拡充、雇用を拡大し、現在の事業形態となる。2009年から、廃校になった旧西武蔵小学校を国東市から借り受け、事業の拠点としている。日本文理大学建築学科客員教授。
■「d-torso」ウェブサイト
http://www.d-torso.jp

■アキ工作社ウェブサイト
http://www.wtv.co.jp