「納得」の時代のコピー

僕もそうですが、コピーライターは心のどこかで「優れたコピーとは広告を見た人を納得させる技術だ」と思っているところがあります。これは僕がこの世界に入った当時、きら星のごとく活躍されていた先輩たちが、そういうコピーを書かれていたからです。

たとえばTOTOが1980年6月に発売された「ウォシュレット」は、1982年のある広告がきっかけでその後大ヒットします。その広告のコピーは、『おしりだって、洗ってほしい。』というものでした。ちなみに、ウォシュレットはTOTOの登録商標で、一般名詞は温水洗浄便座といいます。最近の新築住宅には、この温水洗浄便座が標準装備されていますから、若い人はこのコピーを見てもなんとも思わないでしょう。しかし、当時の人々は、この広告を見て「ウチにもウォシュレットが欲しい」と思ったものでした。このコピーに多くの人が納得したからです。

このように当時の優れたコピーとは、広告を見た人が「うん、なるほど。そう言えばそうだ」と思わせるもので、新しい価値観を提案し、これを納得させることで、広告コミュニケーションを成立させていました。

ほかにも多くの先輩たちが広告を見た人を納得させるコピーを書いていました。僕のような駆け出しのコピーライターは、「自分も早くこんなコピーを書けるようになりたい」と思ったものでした。もちろん、当時のコピーすべてが広告を見た人を納得させようとしたものばかりではありません。それでも「なるほど。そういえばそうだ」と思わせるコピーが名作と呼ばれ、そんなコピーを多くの若手コピーライターが書いてみたいと思っていました。また、一緒に仕事をしているデザイナーやクライアント(広告主)からもそんなコピーを期待されていました。

大分のような地方都市は、大都市と比べると広告費はわずかなものですが、たとえ広告予算が少なくても、優れたコピーなら広告を見る人を納得させることができたからです。

「空気感づくり」の時代のコピー

この傾向は現在も残っていることは確かなのですが、ある時期を境にコピーの主流が大きく変化していきます。

NECの『バザールでござーる』(1991年)、サントリーモルツの『うまいんだな、これがっ。』(1992年)、日清カップヌードル『hungry?』(1992年)などを見ても分かるように、どの広告も広告を見た人を納得させようという意図が感じられません。これらの広告から感じられるのはとても強い存在感です。しいて言えば商品を中心とした独特の空気感をこれらの広告は発信しています。

これらの広告づくりの中心となった人が、コピーライターではなく、CMプランナーであったり、アートディレクターであることも要因かもしれませんが、広告の伝え方が1990年を境界としてがらりと変わったといえると思います。

“歌は世につれ、世は歌につれ”といいますが、広告もまた時代時代に応じた伝え方があると思います。大切なことは「納得型」であろうと、「空気感型」であろうと、要は伝わり、見た人の心に何かを残せばいいと思うのです。

今後も広告づくりの潮流は、どんどん変わっていくでしょう。僕のように「納得型」コピー全盛の時代にデビューしたコピーライターは、すでに時代遅れかもしれないと思う時があります。しかし、モノを買うという心理に「納得」は欠かせない要因であることは、今後も変わらないのではないでしょうか。インターネットの時代、キャッチ(コピー)1本でモノが売れる時代はもう来ないかもしれません。それでも人は納得して商品を買いたいと思っています。商品購入という決断を正当化したいと思っています。

だから僕は、これからも企業と生活者を結ぶブリッジであり続けたいと思います。

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一丸幹雄 
(いちまる・みきお)

昭和30年、大分県杵築市生まれ。

日本大学法学部新聞学科卒業。㈱宣伝会議「コピーライター養成講座」一般コース・専門コース修了後、東京の広告制作会社に勤務。昭和56年にUターン後、大分市の広告代理店、制作会社に勤務。県内各企業の広告や行政の広報、雑誌の取材・執筆を手がける。 現在、フリーランスとして活動中。