スーパーで買ってきた巻き寿司

たまにですが、わが家の昼食にそばと巻き寿司が出ることがあります。巻き寿司はスーパーの惣菜コーナーで買ってきたものです。今回食べた巻き寿司は、おいしくありませんでした。いつもの巻き寿司もすごくおいしいというわけではありませんが、ストライクゾーンぎりぎりに入っています。ところが、今回は完全にボールでした。見かけは同じなのに、どうして味がこんなに違うのかと妻に聞いたところ「お店が違うから」と言います。諸般の事情で、いつも行くスーパーではなく、違うスーパーで買ってきたようです。多分、いつも行くスーパーとは納入業者が違うのでしょう。今回の巻き寿司は、砂糖の入れ過ぎでやたら甘いのです。良く言えば、昭和の味と言えないこともありません。昔の巻き寿司は、こんな甘い味がしたものです。

それがいつの頃からか、多くの食べ物の甘さが控え目になっていきました。甘いものの代表ともいえる洋菓子店や和菓子店でも「甘さを抑えた大人の味」を売り文句にしている時代です。甘い巻き寿司をつくっている業者は、今という時代の空気が読めないのかもしれません。あるいは…。

以下は、まったくの空想ですが、甘い巻き寿司をつくっている工場では、こんなやりとりがあったのではないでしょうか。

A「ウチもそろそろ甘くない巻き寿司をつくったほうがいいんじゃないでしょうか」

B「いや、これまで通りでいい。これはウチの味だ。この味でウチは長年商売をやってきた。今さらお客さんの信頼を裏切るわけにはいかん!」

A「しかし、最近は売上げが落ちてきていますし、そろそろ味を変えたほうが…」

B「商売で大切なものは信頼だ! ウチの伝統の味を買ってくれているスーパーさんの信頼をこっちの都合で変えるわけにはいかん!」

商売で大切なものは信頼。まったくその通りです。伝統は守らなければ、というBさんの論法は一見正しいようにも思えます。しかし、伝統とは昨日やったことを今日も変わらずにやるということでしょうか。

松尾芭蕉が弟子に語った言葉

俳聖と呼ばれる松尾芭蕉は、俳句について次のように述べています。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」と。これは、古人が行った偉業の模倣に終わってはいけない。古人が理想としたところや、その精神を追求すべきであるということです。

かつて巻き寿司は甘くつくることが常識でした。なぜかといえば、砂糖が貴重品だったからです。1960年代くらいまでは、袋入りの砂糖を化粧箱に入れ、中元や歳暮のギフトにしていたくらいです。それほど人々は甘いものを欲しがっていました。だから、ハレの日の食べ物であった巻き寿司には、砂糖をたくさん入れて甘くしたのです。

その後、時代は変わりました。今では砂糖をギフトに使う家庭はほとんどないでしょう。昭和の頃、甘い巻き寿司をつくっていた人は、おいしく食べて欲しいという思いから砂糖をたくさん使っていたわけです。その結果、当時は甘い巻き寿司が大ヒットしました。これがしばらく続き、会社の伝統となっていきます。そして、この伝統は金科玉条となり、代々受け継がれていくわけです。「今さら変えられない」と思い込むほどに。

最初に甘い巻き寿司をつくった人は、エンドユーザーを見ていました。Bさんは納入先のスーパーを見ています。「古人」が見ていたのは誰でしょう。そこを考えれば、答えは自ずと出てくるはずなのですが…。

この話は、巻き寿司に限ったことではありません。あなたの会社でも、同じようなことが起きてはいませんか。「伝統を守る」という美名のもとに、本当に見つめなければならない対象を見失ってはいませんか。もう一度、周囲をよく見渡してみてください。

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一丸幹雄 
(いちまる・みきお)

昭和30年、大分県杵築市生まれ。

日本大学法学部新聞学科卒業。㈱宣伝会議「コピーライター養成講座」一般コース・専門コース修了後、東京の広告制作会社に勤務。昭和56年にUターン後、大分市の広告代理店、制作会社に勤務。県内各企業の広告や行政の広報、雑誌の取材・執筆を手がける。 現在、フリーランスとして活動中。