
みなさまはじめまして。別府市出身で、現在は様々なメディアで街づくりや地理、歴史などに関する記事を書かせていただいております都市商業ライターの若杉優貴と申します。
さて、このコラムをお読みの方の多くは大分県に在住していらっしゃると思いますが、みなさんは「大分」「おおいた」という地名の由来をご存知でしょうか。
「大分」の由来について、大分県の公式ウェブサイトには
「日本書記」における景行天皇の九州巡幸の記事では、「冬十月に、碩田國に到りたまふ。其の地形広く大きにして亦(また)麗し。因りて碩田と名く。碩田、此れをば於保岐陀と云う」
とあります。
また、『豊後国風土記』では、同じく景行天皇の発言として
「広大なる哉、この郡は。宜しく碩田国と名づくべし」との記載があり、この“碩田(おおきた)”がのちに“大分”と書かれるようになったとされています。
と記載されています。
※注:景行天皇は第12代天皇。九州南部の対抗勢力であった熊襲討伐に関与するなど大和朝廷の統治域拡大に寄与したとされており、九州に関するエピソードも数多い。神話上は西暦100年前後に在位していたとされるが、実在するならば西暦300年ごろに在位していたという説もある。
また、大分市の公式ウェブサイトでも、大分県と同様に豊後風土記を基として
広々とした美田、碩田と名付けられ、後に『大分』と書かれるようになった
という由来が書かれています。
つまり「大分」は「大きな田」という意味の「碩田(おおきた)」が「大分」に転化したものだというわけです。ちなみに、大分市碩田町(せきでんまち)は、この豊後国風土記に記されたエピソードに基づいて1964年に名付けられた町名です。
一方で、この「大きな田」由来説には賛否両論があります。
古来から大分(豊後)の中心であった大分平野は全国的に見るとそれほど広い平野であるとはいえず、あえて「大きな田」と呼ぶほどのものではないためです。そのため、近年は「狭い土地に多くの田があるため『多き田』と呼ばれていた」「土地が狭く分かれているため『分』の字を当てた」といった説も有力となっています。
このように、私たちは地元・大分県の地名の由来やその歴史について、意外にも知らないことが多いのではないでしょうか。
今回紹介した「大分」にまつわる諸説のほかにも、山や川、港、田畑といった古くからの地形に由来するもの、そして遠い昔に起きた出来事を静かに伝えるもの、大分らしい「温泉」に由来するもの、さらにはいくつかの要素や地名が組み合わさって生まれたもの等々、普段私たちが何気なく口にしている地名であっても、その一つひとつが、古代から積み重ねられてきた歴史の1ページなのです。
本連載では、大分県内各地を巡りながら、私たち・大分県民にとって身近な地名の由来と、それにまつわるエピソードを紐解いていきたいと思います。
次回からは、「地名」を手がかりに、大分という土地の歴史のページをめくっていきましょう。
【メイン画像】
別府市・由布市・大分市に跨るエリアには今も多くの棚田が残る。こうした棚田が「大分」の由来なのかも知れない。
【参考文献】
『角川日本地名大辞典 大分県』(角川日本地名大辞典編纂委員会編/角川書店/1980年)
大分県ウェブサイト、大分市ウェブサイト、奈良県ウェブサイト
※地名の由来には諸説あります。

若杉 優貴
わかすぎ・ゆうき:別府市出身。熊本大学、広島大学、久留米大学を経て2021年博士学位取得。専攻は商業地理学。様々なメディアで街づくりや地理・歴史などに関する記事を執筆している。趣味は商店街とデパートめぐり。
※プロフィール画像はアーティストの三原海氏に描いてもらいました。