
※メイン写真:若杉優貴
温泉のまちとして全国的に知られる別府。
日本を代表する温泉地には、温泉そのものを語源とする地名が多くあります。例えば、「熱海」は「熱い水=熱水」、「草津」は「臭い水=臭水」、「登別」はアイヌ語の「ヌプル(濃い)ペッ(川)」が由来だといわれています。
しかし、「別府」という地名の由来は、それらとは大きく異なります。
実は、別府のルーツをたどると、この地域と「宇佐神宮」との深い関わりが見えてくるのです。
もともとは「別符」? それとも「弁分」?
今からさかのぼること約1,000年前の平安時代、現在の別府市中心部は宇佐神宮の所領でした。そして、おおよそ境川よりも南側は現在の別府総鎮守・八幡朝見神社にみられるように「朝見」、そして境川を挟んで北側は「石垣」と呼ばれていました。そのうち「朝見」は、熱海と同じく「熱水」が転じたもの……つまり温泉に由来する地名だと考えられています。
それでは、「朝見」や「石垣」と呼ばれていた地域は、なぜ現在の「別府」という名称になったのでしょうか。
別府市の公式資料「別府市の概要」によると、「別府」の語源は宇佐神宮の荘園制度に関係する「別符」にあるとされています。
「別符」とは、新たに開墾された土地などに対して発行された免税証明書(別納免符)のこと。こうした特別な権利を持つ土地自体が「別符」と呼ばれるようになったとされています。
そして、この「別符」となっていた土地の代表的な例が、宇佐神宮の荘園だった石垣荘……現在の別府市石垣地区の附近に設けられた「石垣別符」でした。
一方で、2025年に市制100周年を記念して刊行された「別府市誌」では、それとは異なる説も紹介されています。
そのなかでは「別府」の語源は宇佐神宮の祭祀負担制度である「弁分(べんぶん)」が転化したものではないかとしています。弁分とは、神事に必要な費用や役務を負担する仕組みのことで、朝見や石垣にも存在していたことが確認されています。ちなみに、国東市安岐町には「弁分」の名が宇佐神宮の行幸会の経由地となっていた地に「弁分八坂神社(別名:牛頭之宮)」として残っています。
いずれの説にせよ、「別府」の語源についてはかつてこの地域を所領としていた宇佐神宮が大きなカギを握っていることは間違いないでしょう。
つまり、別府は温泉で発展したまちでありながら、その名は温泉ではなく、かつての荘園制度や神社の統治体制に由来している可能性が高いのです。
石垣の語源は「石垣」だった!
さて、前項で触れた石垣地区は、現在では別府市を代表する住宅地となっています。
この「石垣」という地名は、江戸時代前期(元禄時代)に儒学者・貝原益軒が著した紀行書『豊國紀行』によれば、鶴見岳の火山活動によって生じた火砕流や土石流によって運ばれた大量の石を利用して坂がちの地形に「石垣」を築いていたことに由来するといわれています。
つまり、「石垣」という地名は文字どおり「石で造られた垣や擁壁が多く見られた土地だったこと」に由来するのです。
別府市外の人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、別府では鶴見岳や伽藍岳から噴出された安山岩を「別府石」と呼んでおり、加工しやすく耐久性にも優れていたことから近年まで住宅の塀や棚田の土留めなどとして広く利用されてきました。
温泉ばかりが注目されがちな別府ですが、その発展の背後には温泉と同じく火山活動がもたらした別府石の恵みもありました。別府市内を歩く機会があれば、ぜひ温泉だけでなく、住宅地や坂道に残る「別府石の石垣」にも目を向けてみてください。そこには、温泉都市・別府を支えてきたもうひとつの歴史の物語が刻まれています。
「石垣」の地名の由来となった鶴見岳の噴石「別府石」。別府市荘園にはこの「別府石」をご神体とした七ツ石稲荷神社があります。隣接して温泉も。(写真:若杉優貴)
【参考文献】
角川日本地名大辞典編纂委員会編(1980)「角川日本地名大辞典 大分県」角川書店.
別府市誌編纂委員会(2025)「別府市誌」別府市.
別府市ウェブサイト
