バブルが弾け、失われた20年が過ぎ、ここ最近“アベノミクス”の効果なのか、やっと景気が回復したような報道がなされている。

とはいえ、恩恵を味わっている人々は、どうも大企業にお勤めの方か、投資家たちだけのようだ。

その他の人々は、いまだに消費を控え、つつましく暮らしている。若い世代、バブルが弾けた90年代初頭以降に生まれた世代にとっては、ものごころついたころには、世間はすっかり不景気に慣れていた。

しかし慣れたと言えども、つつましい生活は2014年の消費税増税で、よりつつましくなり、我々は消費を抑えた生活を強いられている。

消費税は老若男女かかわらず、品物やサービスを買えば必ず徴収されるので、収入が少ない若い世代は、とくにお金を使うことに敏感だ。基本的にモノを買わないのである。モノを買うときも、欲しいモノを欲望のおもむくまま購入するのではなく、本当に自分に必要なものかどうかを判断して、お金を出す。

バブルを知っている私たちから見れば、これはこれでかわいそうな気もするが、正しい行動ではある。その生活が維持できているかぎり……。

お金のことに関する知識や知恵、つまりマネーリテラシーは学校で教えてくれない。かといって親が教えてくれるかというと、そうでもなく、ただ「貯金しなさい」と言われるだけだったりする。その傍ら、テレビや雑誌、交通広告などでは消費者金融がしきりに借りやすさを喧伝している。

そもそもお金を借りるのに、正々堂々と借りられる状況がよろしくない。消費者金融のローンカードは銀行や信用金庫といった一般金融機関のキャッシュカードと同じ形で大きさも同じ。しかも一般金融機関のATMが利用できる。加えてローンカード所持者のほとんどはキャッシュカードと同じ暗証番号を使っていると思われる。

金融機関で、自分の預金を引き出す行為とまったく同じ行為で“他人”のお金が同じ機械から出てくるのである。他人のお金だからといって、違う色というわけではないので、次第に自分のお金のように思えてきてもおかしくはない。

消費者金融としては、消費者の利便性を考えて一般金融機関のATMを利用できるようにしている、と言うだろう。が、見方を変えれば、消費者がお金を借りるという行為のハードルを下げようとしていることは想像に固くない。

一昔前は、手っ取り早くお金を借りるといえば質屋しかなかった。しかも質屋は裏通りにひっそりとあった。のれんをくぐるのも、周りを見渡して、人がいないことを確認して……というふうに人目を避けつつ、背徳感満載な気持ちでわずかな現金を調達したものだ。しかも中古品を販売するわけではないので、換金率は悪く、みな、なんとか期限までに返金しようとがんばっていた。

バブルが弾けたあと、その派手な生活が忘れられず、消費者金融で借金を重ねた人々が多くいた時代、消費者金融は社会問題化した。

現在の社会問題は格差だ。経済格差が広まり、貧困層が増えている。若い世代も節約できているあいだは問題ないが、限界がきてしまえば仕方なく生活費のためにお金を借りる。

そうなれば、あとは収入がアップしない限り、そのような生活から抜け出すことはできない。自己破産までは時間の問題だ。現在、それらを救済する社会システムは整備されていない。結局は自己責任となる。

となると、なるべく早い段階、少なくとも社会に出る前にマネーリテラシーを教え、自分自身に稼ぐ力をつけることの必要性を説くことが大切ではなかろうか。

良い大学を出て良い会社に入っていれば安泰、という時代はとうに過ぎ去った。いま必要なのは個々人それぞれの稼ぐ力なのだ。

 

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田代 真人 氏
(たしろ・まさと)

編集者・ジャーナリスト。(株)メディア・ナレッジ代表。駒沢女子大学、桜美林大学非常勤講師。1986年九州大学卒業後、朝日新聞社、学習研究社、ダイヤモンド社と活躍の場を変え、女性誌からビジネス誌まで幅広く取材・編集。著書に『電子書籍元年』(インプレスジャパン)、構成作に『もし小泉進次郎がフリードマンの『資本主義と自由』を読んだら』(日経BP社)がある。