今月からコラムを担当させていただくことになりました。このような機会を与えて頂き誠にありがとうございます。

私は現在大分トリニータで経営改革本部長の任に就かせていただいていますが、本来サッカー関係の人間ではありません。本業は「人材ビジネス」です。30年以上にわたって、「人と組織、仕事と成長」をテーマにした事業に携わってきました。具体的には転職斡旋・組織開発プログラム・研修といった事業です。日本だけでなく欧米やアジアの拠点のマネジメントを通じて感じてきたこと、これからの日本社会における「働き方」について、私が常日頃考えていることを思うままに記していきたいと思います。多少なりとも皆様のお役に立てば幸甚です。

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昨今新聞・TVなどで盛んに「働き方改革」という言葉を耳目にします。私はこの言葉、報道にいつも違和感を覚えています。
それは、これらのニュースで使われる「働き方改革」が「政府主導・会社主導」の響きをもっているからです。もちろん、企業・組織の現場で個々人の変革も起きているのでしょうが、どうも私にはそのようには聞こえません。「これからの働き方はこうあるべきだ」「企業は社員の働き方改革をしなければいけない」的なニュアンスが私の違和感の原因です。

本来「仕事」は個人の自由であり権利です。「こういう働き方をしなければいけない」と規制されるべきものではないはずです。人が仕事を通じて輝き、それによって組織・企業が活性化し、その結果として社会が明るくなっていく、その循環を生み出すスタートは個人でありたいと思っています。

私がこのような考えに至っている原点は、やはり新卒で入社した(株)リクルートでの経験だろうと思います。
私がリクルートに入社したのは1985年です。当時はまだベンチャー企業だと言われていましたが、実際には創業25年を経ていましたし、従業員数も3,000人近くいました。同期入社は500人もいました。大学4年の就職活動中に、愛知県出身の私は、トヨタ系列のメーカー、東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)をはじめさまざまな企業を訪問しました。しかしどの会社に行っても同じような質問をされ、話を聞かせて頂いた若手社員・中堅幹部の方々の答えも非常に画一的で面白みを全く感じることができませんでした。

よく「なぜリクルートに入社したのですか?」と聞かれることがあるのですが、いつも私は「働いている人が楽しそうだったから」とお答えしています。入社したての2~3年目の社員方々が、毎日・毎晩夜中近くまで働いていることを、面白おかしく、楽しそうに語っている姿を見て「ここにしよう」と決めたのです。

私が配属されたのは大阪支社管轄の営業所でした。中途採用求人広告(「週刊就職情報」(現・リクナビ)、「とらばーゆ」と言った雑誌です。)を扱う部門の営業職配属です。ここから私の「働くって何だろう?」という自問が始まりました。
私の営業所は他拠点と兼務の課長(30代前半)、営業リーダー(30)、サブリーダー(入社3年目)、正社員はそこに私を加えた4名だけでした。他の従業員は、20代後半の月給制営業アルバイト職が2名、20代前半の日給制営業アルバイト職が4名、同じく20代の求人広告原稿制作職のアルバイトが2名という体制でした。

今から30年以上も前に、すでに今でいうところの「正規・非正規」混在の職場です。
そして、そこで私はいきなり4名の日給制アルバイト職の営業マンたちとチームを組み、チームリーダーとしての仕事をすることになったのです。1名を除き年齢は私より上、営業経験も1~3年ある人たちです。当然私自身も入社1か月目から個人営業目標を持つことになります。営業のイロハもわからない新卒社員の私にできるはずもないような仕事を任されることになったのです。

これは何も私だけのことではありません。同期入社の仲間たちも、それぞれに配属された営業所で似たり寄ったりの人員構成の中に放り込まれていました。
「面白おかしく、楽しそうに働いている」姿を見て入社した会社が、一転して地獄のようなプレッシャーの日々になったのです。
個人の営業成績も全く上がらず、新人同期入社最下位、営業所目標達成の足を大きく引っ張ってしまいました。

それでもなぜか充実していました。

なぜなんだろう?

そこにある秘訣。
それを次月に記したいと思います。

profile

神村 昌志 氏
(かみむら・まさし)
株式会社大分フットボールクラブ経営改革本部長。
1962年、愛知県半田市生まれ。大阪大学文学部卒業後、1985年に株式会社リクルート入社。2年目よりリクルートUSAへ出向。ロサンゼルスに駐在。外資系企業を経てJAC Japan(現・JAC Recruitment)入社。2003年に代表取締役に就任し、2006年JASDAQ上場を果たす。2008年10月より株式会社アイ・アム代表取締役社長を経て、2012年3月より株式会社アイ・アム&インターワークス代表取締役会長。2015年にはJリーグが設立したプロスポーツの経営人材を養成するビジネス講座「Jリーグヒューマンキャピタル(現・一般財団法人スポーツヒューマンキャピタル・略称「SHC」)」一期生へ。2016年より現職。趣味はサッカー、ゴルフ、落語、講談、ワイン、読書。アマチュア講談師として年に数回高座にも上がっている。
■大分トリニータ(株式会社大分フットボールクラブ)
http://www.oita-trinita.co.jp
■一般財団法人スポーツヒューマンキャピタル
http://shc-japan.or.jp