プロジェクションマッピングで幻想的な演出を施した夜の海地獄、地獄の歴史と仕組みをアカデミックに紹介する「ギャラリーAO(あお)」のオープン、地獄を舞台にしたアニメ『鬼灯の冷徹』とのコラボ、シンガーソングライター・大森靖子さんのライブやナイトパーティーの開催…。大分県を代表する観光スポット・海地獄が、これまでにない取り組みにチャレンジしています。海地獄五代目当主の千壽智明さんに、お話を聞いてきました。

■先代の急逝を経て、手探りで経営術を学ぶ
──大手印刷会社に勤務していた千壽さんが、どのような経緯で別府に帰られ、家業を継ぐ決意をされたのでしょう?
千壽 海地獄を経営する父・健夫が80歳を過ぎた頃、「別府に帰ってこい」という連絡をもらったんです。当時の私は東京勤務で、民間企業の新規事業立上げなどに携わっていました。仕事そのものは激務でしたが、すごく楽しくて…。それに私は3人兄弟の三男だったので家業を継ぐことなんて考えたこともなく、父から最初に家業を継いでくれないかと聞かされた時もゴネていたんです(笑)。でも2年ほど父と話をしていくうちに、だんだんと心境が変化していきました。ようやく別府に帰る決意ができて、2014年に専務という肩書で入社しました。しかし2017年4月に父が急逝。いきなり五代目として経営を引き継ぐことになりました。

──いずれ5代目として引き継ぐ計画だったのでしょうが、具体的な事業承継に関する取り組みは進めていたのでしょうか?
千壽 実はそれまで、私自身は財務や労務といった会社の経営に関わることはまったく共有していませんでした。いずれ話そうという心づもりがあったのかもしれません。父は他界直前まで現役でしたし、私もこの件に触れてこなかったので結局、聞く機会を逃してしまったんです。しかも当時の私は専務とはいえ、経営が分かる人間でもなければ、現場の人間でもない、非常に「宙ぶらりん」な立場だったんです。そんな私とどう接すればいいのか、職員の皆さんも心配されていたのではないかと思います。

──急な話でもあり、無理もありませんね。
千壽 とは言っても、いつまでも立ち止まっているわけにいかず、不安を抱きながらも「自分の役割は自分で見つけるしかない」となんらかのアクションを起こそうとしました。幸いにも当時はラグビーワールドカップ大分開催を控え、観光業界はインバウンド需要が高まっていた時期。集客面での不安はなかったので、まずは社内に見え隠れしていた課題をひとつずつ解決していきました。

■従業員と共につくる「新しい海地獄」
──どのような課題に取り組んだのでしょうか?
千壽 最初に手を入れたのは労務関係です。海地獄の就業規則はかなり昔につくられたものをそのまま使い続けており、いわば形骸化していました。働き方改革が進んでいる現在、この職場で従業員が誇りをもって長く働き続けるには、就業規則のブラッシュアップは必要だと考え、そこから着手しました。見直しにあたって「労働環境は企業ぐるみでつくるもの」という考えを伝え、従業員の皆さんと一緒に取り組みました。おかげで誰もが納得できる就業規則がまとまったのではないかと思います。このほかにもPOSレジの導入やホームページのリニューアルなど、さまざまな改善・改革に順次チャレンジしていきました。

──売店のリニューアルもされていますね。
千壽 売店のリニューアルは、父が他界する前から進めてきた事業です。前年に発生した熊本・大分地震がきっかけでした。地震が発生した時は築70年を過ぎていた建物は大きく揺れて非常に怖い思いをしましたし、いずれは建て替える必要があると感じていたので、これを機会にニューアルすることにしたんです。でも単にキレイに作り替えるだけで終わらせたくなかったので、売り場のレイアウト全体を根本的に見直しました。たとえば従来は管理しやすいよう什器ごとにメーカーとスペース契約して賃料をいただくようにしていたのですが、これだとお客さまが快適にショッピングを楽しめないのではないかと考えました。そこでお客さま目線の売り場づくりを従業員と共に考えていき、カテゴリーごとに並べる今のレイアウトになったのです。

──確かに買い物しやすくなっています。2階にはギャラリーAO(あお)をオープンされましたね。
千壽 別府市内には温泉や地獄めぐりに関する文化・歴史を伝える身近な施設がないので、博物館のようなものがあればと以前から思っていました。それならばリニューアルのタイミングで海地獄がやるべきではないかと思い、地元の別府大学の監修をいただきながら、アカデミックなものに仕上げました。「別府地獄の今昔物語」「四季折々の海地獄」といったコーナーを設け、8世紀に編集された『豊後風土記』に別府の地獄が初めて登場したこと、鎌倉時代に一遍上人が地獄を鎮めて蒸し風呂をつくったこと、1910年から観光利用が始まったこと等々、わかりやすく紹介しています。

──夜間イベント夜の海地獄も、画期的でしたね。
千壽 海地獄を含む鉄輪エリアの課題は、別府駅前や北浜エリア等と比べて「夜に観光できる場所」がないことです。そこで多くの方々からアドバイスをいただきながら、プロジェクションマッピングを活用した「夜の海地獄」を実現させました。イベントの反響は大きく、「あの海地獄がこんなことをやるんだ」「海地獄って、こんな面白いことができる場所だったんだ」といった声をいただきました。これまでの海地獄とはまったく違う新しいチャレンジは、5代目である私にしかできないことだったのではないかと思います。

※「第19回 千壽 智明さん/海地獄代表(鉄輪支部会員)#2」へ続く

profile

せんじゅ・ともあき/合資会社海地獄 代表社員/1985年、東京都生まれ。都内の中学を卒業後、高校は大分市の岩田高等学校に進学。慶應義塾大学法学部を卒業後は大日本印刷株式会社の営業部に勤務。2014年に別府へ帰郷。2017年に父・健夫氏を継ぎ、海地獄の5代目代表社員に就任。株式会社Dots&L代表取締役。
■海地獄
大分県別府市鉄輪559-1
※本社地図
tel:0977-66-0121
http://www.umijigoku.co.jp/

■千壽智明氏note
https://note.com/jigoku_1010/