※「第23回 米国と中国、その行方 #1」 からの続き
第24回 米国と中国、その行方 #2
■問い
米中関係の争いは今後どのようになるのでしょうか?
そもそも解決できるのでしょうか?
■答え
【前回までのあらすじ】
西部開拓時代の米国は「独立自尊」「創意工夫」「忍耐不屈」といった考えのもと、政府や仲間の協力を得ず、自分たちの手と足での開拓に力を注いでいました。この辛いときの精神の拠り所が聖書であり、ここから強烈な原理主義的な思想を持つようになります。
南北戦争では北部の圧勝により南部の綿産業は衰退し、産業の発展を遂げます。米国全土の産業発展は世界中から大量の移民も受け入れました。ニューヨークを中心に経済が発展し、ユダヤ系のロスチャイルド、石油王のロックフェラー、銀行のモルガン家など巨大な金融資本が誕生します。
経済発展は市場を外に求め、そのうちの一つを中国に見出しました。マハンが提唱したパナマ運河を活用した航路を実現するためスペイン戦争を起こし、見事にキューバ、グアム、フィリピンを獲得して航路をつくりあげたのです。
【米国と中国】
その当時、日本は日清戦争の結果、下関条約により清朝だった台湾を日本の領土としていました。フィリピンを統治下においた米国とは、いわば隣国同士の関係になっていたのです。
一方、当時の清朝は内紛でもガタガタでした。フランスが越南近辺を領土として、イギリスが上海、ロシアが内モンゴルと満州、ドイツが山東半島と、各国の占拠が進みました。おかげで清朝に入るルートを整えようとしていた米国にしてみれば、すでに他国に市場を取られていたというわけです。
そこで当時の米国国務長官であったジョン・ヘイは「清朝よ、ドアを開け!」的な発想で「門戸解放宣言(Open door note)」により市場の解放を各国に訴えます。しかし、どこの国も米国を相手にすることはなく、そのうち清朝が滅び、中華民国が誕生したのです。
ここまでの歴史を見る限り、米国は中国を侵略していません。それどころか他の国に対して中国の分断に反対していたのです。とても今の対立からは想像できないですよね。
そもそも米国が中国に入りたかった理由は市場、つまり金儲けとは別の理由がありました。
それが米国の信仰を提供したいという発想でした。
当時の米国人は中国人をすべてクリスチャンにしたいと思っていました。実際、多数の宣教師を米国から派遣し、清朝時代の中国に手を差し伸べることも行っていました。
しかし、中国はそれを受け入れませんでした。むしろ共産主義を掲げてキリスト教徒を否定しました。これが米国の苛立ちの根底になったかもしれません。
さて、ここであらためて【米国の2大政党】の成り立ちと、中華民国に至るまでの【中国の近代史】を振り返ってみましょう。
【米国の2大政党】
米国の2大政党は共和党と民主党です。
前回でも触れたように共和党は開拓農民の政党です。「自分の生活は自分の責任で守る」「政府はそもそもあまり干渉するな」「福祉も要らないから税金を安くしてくれ」という主張です。当然、アメリカ第一で自国の利益を優先的に考える主張です。西部開拓の流れを考えると、トランプの主張はかなり分かりやすいですよね。地理的にも開拓民が多く住み着いた米国の真ん中あたりに支持層が多いのも納得です。
対してライバルである民主党は後から入ってきた移民の政党です。自分たちも移民なので今後の移民も継続的に受け入れたい。特にユダヤ系は金持ちなので特別な感情を持っています。彼らは国境を超えて投資をしたいため、グローバルに関係を広げたいと思います。
共和党と民主党を整理すると、少しは米国の政治が見えてきます。
大統領選挙は国民投票で決まります。その際、国民に直接アピールするため、選挙に多額の費用をかけるのが通常です。
そこで銀行の出番です。銀行は歴史的に見ても民主党寄りではありますが、バランスをみながらファイナンスするため共和党にもお金を出します。銀行としては、投資を増やしてリターンを最大化したいのが常。そのため本音は海外投資も増やしたいのです。
当然、中国も投資先として考えているでしょうから、中国ともうまくやりたいはずです。
【トランプ大統領の共和党】
以上の流れから、民主党の考えとトランプ大統領の考えは真逆ということがおわかりでしょう。
民主党は世界を統一する方向に動きたく、一方の共和党は海外にあまり関心がない。
この考え方を反映したのが、国際連盟と国際連合です。
民主党のウィルソン大統領が国際連盟を提唱し、ルーズベルト大統領は国際連合設立に尽力したのは、このような背景があったのです。現在、トランプ大統領は、国連をはじめとする一連の動きに「お金を払う意味が無い」と主張しています。
実に分かりやすい構図です。
【中国の近代史】
中国大陸を流れる大河は時には荒れ狂い、時には肥沃な大地をもたらします。壮大な大地を相手に、ひとりの人間では太刀打ちできません。
そこで大量の人民を組織して事業を成すことが求められました。2000年続く中国の官僚システムの基本的な思想です。秦の始皇帝以来、内陸の歴代王朝が強い権力を持ち、官僚機構を使って人民を支配してきました。
一方で中国は海に面するエリアも広く、南に位置するエリアでは昔から貿易が盛んです。
貿易を行う人々は自由に海を渡り、富を形成します。そのため大陸にいる人々よりも、創造的で自由に行動する気質が自然と芽生えます。世界中で商売を行う華僑は、この海に面するエリアの子孫だと考えられます。宋代以降、海港都市は貿易で発展し、明代になると武装商人である倭寇が出現しはじめます。
当時の倭寇の商売相手は日本。室町時代、日本は銀を売ってシルクを買っていました。
その頃の日本の商人は、腰に刀を刺していた時代。非常に強く、倭寇からすると「かっこいい!」という発想だったようです。その姿に憧れ、日本人の衣装や髪型を真似て、刀を刺す倭寇もいたといいます。これらは倭寇の資料にも残っています。
このように、中国は「内陸の力」と「沿岸の力」が存在していました。
経済は沿岸が強いため、内陸はそこに重税をかけて、中央にお金を集めていたのです。
近代になると、英国は清に自由貿易を求め、アヘン戦争で上海を開港させました。
市場を中国に求める動きはどの国も同じで、結果的に日清戦争前後で各国が沿岸部を占領し、中国は分裂を強いられはじめます。
しかし、その一方で上海を中心に外資が入り込み、爆発的な経済成長を遂げます。
この時に金銭的なバックアップを行ったのが、上海を拠点とする金融資本家集団「浙江(せっこう)財閥」でした。
そして1911年、孫文らが中心となって清朝を倒す辛亥革命が起こります。
この時にも浙江財閥は資金的なバックアップを行います。中国において沿岸の力(シーパワー)が内陸の力(ランドパワー)を倒した瞬間でした。
以降、中国では沿岸の力が政権を取り、1912年に孫文を臨時大総統として南京に誕生したのが中華民国だったというわけです。
※「米国と中国の行方 その3」へ続く。
参考図書:「歴史で学べ!地政学」茂木誠著
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