コーヒーの香りと共に語り継がれる
老舗喫茶のものがたり
2021年の食品衛生法改正で“カフェ”と“喫茶店”の法律上の区別はなくなりましたが、どうしても“喫茶店”と呼びたくなる店があります。そのひとつが、別府駅前通りのブルーバード会館2階に店を構える『なかむら珈琲店』です。
昭和24年創業の同店は、映画館『別府ブルーバード劇場』と併設するかたちで中村弁助氏がオープンさせました。当初は今のような5階建てビルではなく、平屋だったそうです。
弁助氏の長男で、現オーナーの中村光氏は当時を振り返ります。
「父・弁助は浜脇で葬儀社を営んでいましたが、映画好きが高じて私が9歳の時に現在の場所で映画館と喫茶店を始めました。当時は別府市内に30近くの映画館があり、当館はディズニー映画と欧州映画を上映していました。現在のビルは、向かいの別府信用金庫(現・大分みらい信用金庫)が、千代町から本店を移転した翌年の昭和40年に建てたものです。ところがビルを建てた5年後の昭和45年に父が亡くなり、姉の岡村照が映画館を、私が喫茶店とビルの経営を引き継ぎました」
店内に入ると、落ち着いたレンガ壁に囲まれた細長いカウンター席が目に入ってきます。
壁を隔てた先にはテーブル席が並び、日田出身の宇治山哲平氏の絵画、別府市の書家・荒金大琳氏の書など、オーナーお気に入りの芸術作品が展示されています。
店内にはBGMが心地よく流れ、ピアノやドラムなどが置かれた空間もあります。
この雰囲気に惹かれ、いつしか『なかむら珈琲店』は、別府を愛する人たちが集まる文化サロン的な存在になっていました。
「もともと上映後に映画談義を楽しむ場となればとオープンした店です。カウンターバーを設置したり、カレーやお好み焼きを提供した時期もありましたが、今はコーヒーとココアのみの提供です。戦前にハワイへ移住した親戚が現地のコーヒー豆をよく送ってきてくれたおかげで、私自身も中学生の頃からコーヒーと親しんできました。当店のコーヒーは、私が長年愛飲してきたブラジルとニカラグア産の豆を使っています」
豊かなアロマと良質の酸味、まろやかなコクが特徴のコーヒーをカップに注ぐマスターの顔は、どこか誇らしげです。その横では、長女の中村玲さんがやさしい眼差しで見守っています。
『なかむら珈琲店』は、最近では珍しく店内でタバコを吸える店でもあります。その時に使われる白磁の灰皿は丁寧に磨かれており、洒落たタッチで店名が書かれています。
「多趣味の私は妻の紀子と陶芸を習っていたのですが、その灰皿は妻の手書きなんですよ。癌で亡くなってもう四半世紀になりますが、私と一緒にこの店を支えてくれた大切な存在です」
カウンター越しに亡き奥様との思い出話をするオーナーから、穏やかな笑顔がこぼれました。