
18歳、成人を迎えた孫が進学をしないと言い出した。
連載2回目にして、はやくも不穏な家族の話題かと思われた方も少なくないのでは……汗
で、何をしたいのかと彼に問えば、曰く音楽関係の仕事だと言う。大学に入ってからでもいいのではとの意見にも屈することなく、初志貫徹。この春から個人事業主としてインボイス登録し、活動することになった。
振り返ってみれば18歳の時、僕にも似たような経験があった。
高校3年だった1968年から69年にかけて、大学はもちろんのこと、高校も学園紛争に揺れていた。そして、僕も体制に異議申立てを叫ぶ一人だった。同級生と下級生に卒業式をボイコットしようと呼びかけた。当初、参加を表明してくれた賛同者は数十名いた。しかし、蓋を開けてみると参加する者はほんの数名。結局、なんの抵抗もできなかった。計画の頓挫と仲間に裏切られた怒りと虚しさ、そして敗北感。なんとも不甲斐ない話だが、こうしてすっかり学生運動の季節は終わった。
あれこれあったが高校は卒業した。さりとて、次に何をすればいいのかも定まらず五里霧中の状態だったが、えい、ままよと上京した。そして、日々バイトに明け暮れていた。
6月のはじめ、久々に友人に会うことにした。待ち合わせ場所は彼が通っていたJR御茶ノ水駅からほど近い美術学校。彼の授業が終わるのを待っていた。待ち合わせまでに時間があった。いたずら心が湧き、今まさに授業が始まりそうな教室に無断で潜り込んだ。
そして、ここで恩師となる柏木博先生と出会った。
授業が始まり、先生は黒板に白墨で1960年代の米国車クライスラー(後方に飛行機の尾翼のようなデザインが施された)を大きく描いた。
画いた車を指しながら、「この尾翼のようなデザインは速さという意味のシンボルなのだ」と。
「モノそのものではなく、モノの持つイメージに私達は感化されている」のだ。つまり、デザインとは意味を作り出すことなのだ」、と。
この時、僕の心に衝撃が走った。
授業が終わり、気がつけば教壇にいる柏木先生のところへ行き、「いまのお話は面白かった」と告げた。先生は笑顔で、しかしながら幾分警戒しながら「君は誰?」と言った。僕は頭に手をやりながら、友人がこの学校に在籍していること、たまたま待っていた合間にこの教室に潜り込んだこと、いまは一応浪人生であること等々を話した。
こうしてあれこれと話しているうちに、先生は「自宅に遊びに来なさい」と誘ってくれた。
翌週の日曜日、先生のご自宅に伺った。国立駅からほど近いアパートの2階。先生と奥様、そして先生の友人でカメラマンのSさんが出迎えてくれた。
夕食をご馳走になりながら3人の話に耳を傾けるが、何を言っているのかほとんど理解できない。日本語で話しているのに、なんでこんなに分からないのだろうと思いながらも、でも、とてつもなくワクワクし楽しかった。
そして、この大人たちの仲間に入りたいと思った。こんな会話に参加できるようになるためだったら、大学に行って勉強したいと思った。
こうして夏が終わる頃、僕の受験勉強が始まった。
いま、僕は孫に応援のエールを送りたい。
進学しようがしまいが、夢中になれることを見つけたなら、それはもうすでに君の財産だ。
そして、それをすることが得意で、謙虚に努力し続けられるなら、間違いなくその道のプロになれる、と。
