百人一首では「中納言家持」の名で出て来る大伴家持
この人は万葉集の編集者である。万葉集といえば和歌リズムの根源、日本最古にして最大の和歌集。百人一首の和歌に比べると歴史が古いだけにちょっと読みにくい。
でも現代人の心情に通じる歌があり、毎日接しているうちに垣根がとれてきました。
で、今回はいつもと趣というか構成が変わって恐縮ですけど、万葉集の編集者・大伴家持に着目した特別編です。
というのも、家持のイメージがこれまでと大きく変わったので、その話をしたくて。大伴家持に対してこれまで私が持っていたイメ―ジは、というと、(1)大伴旅人の息子。旅人の付き人で、幼い家持の世話を担当した余明軍の歌「見まつりていまだ時だに変らねば 年月のごと思ほゆる君=お世話してから月日が経ちましたがお変わりなくて嬉しいです 万579」から来ていたもの。ここから、甘やかされて育った二世のボンボンだろう、と思っていた。

(2)百人一首6番歌「かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける」の作者。ここから、都で生活する何の不自由もない人だろう、と思っていた。

(3)万葉集の編集人:ここからゴリゴリ文系の人だろう、と思っていた。

でも、これが変わったのです。
きっかけは「放逸れたる鷹を思ひて夢見、感悦びて作る歌」という長歌を見たこと。
どういう内容かというと、鷹狩りが大好きな家持が、狩猟能力が特別優れた鷹を手に入れ、それはそれは大切にしていた。
ところが飼育係の“狂れたる醜つ翁”こと鷹の養吏・山田史君麻呂が無断で野に連れ出したあげく、見失ってしまう。それを知った家持が手を尽くして探したがなかなか見つからずガックリ来る。
しかし、ある晩、夢に娘が出て来て「その鷹は、しばらくすると見つかります」と告げてくれた、という話。

この歌から家持は
・野に出て鷹狩りするのが大好きなアウトドア派。
・勝手なマネをした者への罵倒ぶり。
・夢のお告げに救われるタイプ。
というキャラの人物と知り、意外だった。

「え、そんな人」となる。
なりません?これをきっかけに大伴家持のプロフィールを調べると、
・乱への連座(橘奈良麻呂の乱藤原仲麻呂暗殺計画氷上川継の乱)で左遷人事を食らうこと数度、
・左遷された任地で鷹を飛ばしては気を晴らし(笑)、
・和歌を詠み、仲間と歌の贈答を重ね、
・馬で任地を廻りながら行政官としての仕事をし、
・その間も万葉集の編集を続けてついに完成させ、785年に任地先で没する。
・ところが死去後、一か月も経たないうちに長岡遷都の責任者だった藤原種継が暗殺される事件が発生。桓武天皇は大激怒。
・首謀者だった家持は官位はく奪、万葉集は罪人の書となり日の目を見る機会を失う。

これ、すごくないですか。

そういうわけで、
(1)大伴旅人の息子だからボンボンだろう、というイメージは上書きされました。
(2)「かささぎの渡せる橋」の歌から、雅というイメージは残りつつ、家持=雅なだけの人では全くないな、と分かりました。
(3)万葉集の編集人、だから文系というイメージは短絡的過ぎました。大伴の名を継承する武門系の官人でありました。

こうだろうと思い込んでいたイメージが何かきっかけがあると大きく変わることがある、という話でした。

家持は二十数年後に恩赦、名誉回復、万葉集も閲覧可能となりました。最後に、家持が鷹を愛でる歌を一首。

矢形尾の真白の鷹をやどに据ゑ 掻き撫で見つつ飼はくしよしも 万4155
*矢の形をした尾の羽が白い鷹が我が家にいる。撫でては姿を観賞して飼育するのは嬉しいことです。

profile

安部 博文
あべ・ひろふみ:1953年、大分市生まれ。大分大学教育学部物理学科卒業、師匠は田村洋彦先生(作曲家)。由布院温泉亀の井別荘天井桟敷レジデント弾き語リスト(自称)。大分大学で第1号の経済学博士、指導教員は薄上二郎先生(現青山学院大学経営学部教授)。国立大学法人電気通信大学客員教授。電通大認定ベンチャーNPO法人uecサポート理事長。
■ブログ「アルケーを知りたい」 https://gakuryokuup.blogspot.com
■Facebook  https://www.facebook.com/hifofumi.abe/
■電通大認定ベンチャーNPO法人uecサポート https://uec-programming.github.io/uec_support/